舞います。

1月14日に開かれる楽創倶楽部さんの『新春の集い』にて、インディアンフルート奏者の松本友貴さんの演奏に合わせ舞わせていただきます。

 

僕は日々カラダの使い方や動きを研究する中で、自然とカラダが踊りだすようになりました。

 

無駄がなく効率の良い動きや、自分でも思ってもいなかったような動き方を発見するためには、頭でカラダを制限するのではなく素直にカラダの言うことを聞き取ってあげることが大切で、なるべくその「要求」をかなえてあげようと動いていると、それが「踊り」や「舞」になっていきます。

 

なので、その時のカラダの状態や精神状態によって全く動き方は変わってきます。

 

楽しい時や嬉しい時と、悲しい時や怒っている時などは心の動き方が違うように、カラダの動き方もそっくりそのまま変わってきます。

 

そもそも感情は、周りの環境や状況に対する自分の反応だったり、欲求、要求だったりするので、それをなにも表現せずそのままにしておいては周囲とのコミュニケーションは図れませんし、自分のその感情に他者が気づいてくれることもないでしょう。

 

カラダというのはそういったものと一体となってできています。感情とカラダを引き離すということ自体が、本来不可能なことだと思います。

 

頭の中でずっと「どのようにしたらいいか」と考えてる人は多くても、ではこの場で「どのように動いたら良いか」と考えている人はとてつもなく少ないように思います。僕もかつては頭の中で考えてばかりいました。

 

頭だけではなくカラダ全体で感じて、考えて動く。それが「舞」だと思います。

 

「踊り」と「舞」は同じように感じられるかもしれませんが、「舞」は原始的な、直感的な、ほとんど再現は不可能なその瞬間特有なもので、それに対し「踊り」はある程度体系立っていて、ヒップホップやフラメンコなど、ジャンル分けできるような性質だと思います。これは自分が発見した動き方を他者に広め、世代を越えて伝え残していく過程で「ジャンル」として確立したものだと思います。

 

なので僕にとっての「舞」は「踊り」に比べより即興的で「生」な感覚があります。「やり方」や「踊り方」にはとらわれず、より直接的な表現が「舞」となって出てくるんです。

 

普段抑えている心やカラダの動きをそのまま表現すると、自分の心やカラダの中に抱えたままになっていた感情やこり固まった部分がほぐれていき、より良い活動ができるようになっていきます。

 

そのため、僕にとって『舞』は「瞑想」と「運動」が一体化したようなもので、生きていくために必要不可欠といっていいほど大事なものです。

 

人前で踊るためというより自分自身のために舞っているのですが、それでも見たいと言ってくれる方がいる限りは人前でも舞いたいと思います。

 

「舞」の後には、カラダの新しい感覚を感じてもらうための体験会も開く予定でいます。

 

ご興味のある方はぜひお越しください。

 

時間はイベントの進行などによって変わりますので、下記イベントチラシにある時間帯にお越しください。

予約制となっていますので、お越しになる方は事前にご連絡下さい。

餅つきもやります。かまどで炊いたもち米でつくお餅と、食卓工房あるはさんが作られるトッピングの数々は絶品です。

こちらのイベント参加費1000円と、「舞」と「体験会」は投げ銭制でやりますので、そちらも合わせてよろしくお願いします。

皆様のお越しをお待ちしております。

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