かなりしつこく説教された記憶があるけど、休み時間にカロリーメイトを買ったくらいでなぜそんなに怒られなければならないのか終始意味がわからず、いま思い返してもその先生が何を言っていたのかまるで思い出せない。ひとしきり説教を聞き終わったあとも、やっぱり自分が悪いことをしたとは微塵も思ってなかったことだけは覚えている(笑)
昼にパンを買うこともできたけどいつも混雑していてめんどくさかったのと、僕が行かない方が混まないわけだからよかれと思ってした行動だったのに、そんな理由を聞こうとするわけでもなく意味のわからない理由を延々と聞かされただけだった。
今から思えばその先生の目について、憂さ晴らしかなにかに付き合わされただけかなと思うけど、その時から感じていたことは、日本の教育現場は細かいルールに異常にうるさくて、それも子どもたち(その当時の自分たち)を『統制』することが第一の目的になっているものばかりじゃないかということ。
いき過ぎた校則が問題になっているけど、それは元々問題だらけの人間を問題なく扱おうとするからこんなことになってしまうんだと思う。
人間なんて誰でも問題だらけだし、ましてや子どもの頃はそれに無自覚だったりもするからそれが出やすくもある。
「問題あり=悪」みたいに思うから、本当は問題大有りなのに隠蔽してしまって、解決手段を模索する機会が奪われる。
それを「我慢」とか「忍耐」みたいな言葉でごまかし、さらに本質から遠ざける。
これって体の使い方に対する考え方にも大きな影響を及ぼしていて、「辛いところを耐えて頑張ることが良い」と思ってしまってるからみんな介護とかで腰を壊し、精神を病んでいってしまっている。
もっと言うと病むこと自体を良しとしてしまっている。
「もっと楽で、今より上手なやり方はないか?」「もっとハッピーになれる方法があるんじゃないか?」という建設的な方向とは真逆に突き進んでいる。
もうこういう時代は終わりにしよう。
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