私の大学時代の専攻は『国際関係学』というもので、特に異文化間コミュニケーションの場における問題の解明やその解決法の模索などでした。
しかしその分野そのものに興味があったというよりも、担当教授のアプローチ方法の方に興味があって専攻したようなものでした。
それは人間の行動原理(認知心理学、脳科学の観点など)から異文化間コミュニケーションを解明していくというもので、少なくとも当時は同じ分野の研究者から見ても異例なアプローチ方法だったようです。
専門用語では『スキーマ理論』というものを基礎的な理論体系とし、それに基づいて異文化間コミュニケーションの場における様々な問題がどのようにして起こるのか解明するというのが主な目的でした。
この『スキーマ理論』というものは人間の脳(神経細胞)の仕組みを説明したものであり、ここから人間の行動の性質がわかってきます。
例えば、「時間」に対しても日本人とアメリカ人、中国人やロシア人ではそれぞれ違う考え方、行動の仕方を持っています。
それは同じ「時間」というものにまつわるそれまでの経験が異なるため、「時間は絶対に守らなければならない」という環境で育つとそのような脳の神経回路が形成され、実際にそのような行動をとりやすくなっていきます。
一方で、「時間はある程度の幅を持たせて心にゆとりを持つことを優先すべきだ」という環境で育つとそのような神経回路が形成され、そのような行動をとりやすくなります。
この神経回路の形成にはある程度の時間や繰り返しなどが必要であり、ほとんどの物は無自覚に行われます。
そしてその回路は使われるほど強固なつながりとなっていき、「時間を守る」という行動を無意識に苦も無く取れるようになっていきます。
そのような神経回路を持った人が「時間を守るより心のゆとりが大事」と考える人の行動を見た場合「この人は時間を守ることができないダメな人」という解釈を持ってしまいます。
「自分はちゃんと時間を守っているのに、しかも(自分にとっては)当たり前のことなのにそれができないってどういう事だろう?」と。
そして言います。「時間くらいちゃんと守ってよ」と。
言われた方はビックリします。そして「この人は時間を守ることの方が人の気持ちよりも優先する人なんだ」と思ってしまうかもしれません。
これはお互いの「時間」というものに対する考え方の違いに気づいていないから起こる現象です。
お互いに違う、もしくは違うことは起こり得ると考えていれば「自分の考え方だけ」で相手を判断することはなくなります。
すぐに相手と同じように考えられなくても「そういう考え方もあったか、なるほど。」と考えられれば自分の視野はかなり広がったことになります。
これは体の使い方でも全く同じです。
「体はこのように動かすもの」という固定観念を、それぞれ違う形で全員持っています。
これは体を動かしてきた経験がみんな違うからです。
これもほとんどが無意識であるため、お互いの違いに中々気づけません。
自分の動き方は長年繰り返してきたもので、強固な神経回路が形成されています。
これがいわゆる「癖」というものです。
強固な神経回路は電気が流れやすくなっていて、「どうしてもついそうしちゃう」という原因となっています。
今まで培ってきた神経回路を使うことは「楽」なのです。
なのである一定の物事を効率よく行うためには、そのことにまつわる神経回路を形成することが大切になってきます。
しかしそこには落とし穴もあって、他の方法や考え方などに気づきにくくなるということがあります。
大人になればみんな、大体一定の動き方しかしなくなる原因がここにあります。
私はこの人間の行動原理について大学時代に知ることができていたため、体の使い方を教えるという職業に就いた最初のころから「今までとは違う体の使い方を試してみてください」と言い続けてきました。
これまでの体の使い方から飛び出た時に見つかる、今まで知ることのなかった『もっと良い方法』に気づいてもらえるよう、講座の内容や進行の仕方を組み立てています。
「自分が今までに培ってきた神経回路を使わない」ということに対して躊躇する気持ちが出ることも想定済みで、せっかく今までの枠から出てみようとしたのにやめてしまうという事にもならないよう、不安や心配を感じにくい、フラットで気軽な雰囲気を大切にしています。
このことに関してはもっと語りたいことはありますが今回はこの辺で。
普段の講座も、脳科学や認知科学の理論をバックボーンに組み立てられていますよ、というお話でした(笑)
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