対談がしたい

なんか最近、すごく”対談”がしたい。

普段の講座では実践を主にやっているし時間の都合上そこまで話せないということがあるわけだけど、体の使い方というか「人間そのもの」に関する能力や可能性については、どう考えても神秘的な部分と、全然そんなことない部分と両方ある。

神秘的っていうのは科学的な説明がつかず「なぜかは全く分からないけどそうなる」という部分。

その一方、一見常識外で不思議に思えることでも、やり方がわかれば誰でもすぐできるようなことも沢山ある。

これは両方ちゃんと分けて考えられることが大事で、全然不思議でもないことを「神秘的な何か」として扱うのはおかしいし、「不思議だけど確実に存在する現象」を、説明できないからといって無かったことにするのもおかしい。

また人はどうしても自分の信じたいものを信じる傾向にあるから、なにか説明がつきにくいことが起きた時、それは「神秘的な何かであってほしい」という願望から生じた『催眠効果』ではないのか、という疑いも必須だと思う。

一つ一つ検証するような「科学的」な姿勢と、それでは到底理解できないものもあるという「謙虚」な姿勢の両方がないと、変に信じ込んでしまったり、逆に疑い過ぎて可能性を閉ざしたりしてしまうんだと思う。

個々の体の使い方を知っていくことは大事なんだけど、そこに取り組む姿勢によっては変な方向に行くこともあるし全然上達しないってこともあり得るので、こういった「考え方」というのがものすごく大事なんだと思う。

こういったことを対談かなんかでものすごく話したい。

僕が講座などでやっている「体の使い方」はもちろん重要なことだと思っているからお伝えしているのだけど、それが「なぜ」「どのように」重要なのかっていうことこそお伝えしたいと思っています。

あー、とにかくいろいろしゃべりたい(笑)

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